『持ってゆく歌、置いてゆく歌ー不良たちの文学と音楽ー』は正直イマイチだったが、とはいえ、大谷さんにはお世話になった。美学校での唯一の理解者でもあった。「囚人の、囚人による、囚人のための音楽ーサミュエル・クック試論ー」をとても素晴らしい、と褒めてくれた。年明けには書物になる。
 サム・クックを通じて「聴くこと」の原理を探求した。もちろんここでの「サム・クック」は、細野晴臣にも、デビット・ボウイにも、ハウリング・ウルフにも、ひょっとしたら岡村靖幸にも置換えることができる固有名詞なのだが、もうひとつの試みとして、(アカデミックな)音楽批評で取り上げられる対象が決まっていることに対する批判でもある。つまり、これを論じておけばとりあえずセーフ、という聖域だ。シュトックハウゼンシューマンジョン・ケージグレン・グールドマイルス・デイビス大友良英メルツバウ、Oval・・・大別してクラシックとジャズとノイズと電子音楽だ。俺は大友良英よりもエルヴィス・プレスリーのほうが1億倍カッコいいと思っている。そのエルヴィスと同じくらいカッコいいのが萩原健一だ。
 いずれにせよ、境界(エッジ)に立つこと。これしかない。