軍事マニア小説的様相を見せながら、村上龍自身の日本的共同体というシステムへの強烈な攻撃と資本主義(貨幣経済)の無根拠性の露呈を目指したこの壮大な『愛と幻想のファシズム』は、文庫版で1000頁を余裕で超えている。
 おそらく新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』はこの小説をモチーフにしていたのだろう。不要な人間は殺す、目障りな人間はクスリで廃人にする、いい女は寝取る、という28歳の無名の男が、軍事クーデターを画策して日本を転覆し、アメリカ合衆国大統領よりも有名になる。そんな小説が9・11以後に読んでもいささかも牧歌的ではない。トウジをビン・ラディン(あるいはヒトラー、少し前なら麻原彰晃か)に重ねられなくもないし、トウジとゼロとフルーツが、『コインロッカー・ベイビーズ』のキクとハシとアネモネの生まれ変わりだと邪推するのは読み手の自由だが、重要なのは、圧倒的な知識と技術で日本の近現代小説のイディオムと大きく隔たった政治的・経済的・科学的・軍事的な専門用語で全編を隈無く被いながら、いままで不可視だった「敵」がトウジの目の前に現れたところで唐突に終わっていることである。はじまりから終わりへと向かって紆余曲折しながら単一的に進行する「物語」と異なり、もはや作家自身がこの獰猛な小説の小説性に畏怖して(あるいは端的に収集が付かなくなって)「うりゃ!」と首の骨をへし折った感がある。もしかしたら、この時点ですでに村上龍マルセル・プルーストの域に達していたのかもしれない・・・
 だが、この強烈な小説は20年以上経ったいまでも死なずにゾンビのように蠢いていて、俺に「人間の精神はその人の経済行為に依存する」ことを教えてくれた。未だに有効。でも、これって失敗作?

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)

愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)