ギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』は非常にわかりやすく難解、という困った代物で本当にこの書物が当時圧倒的にフランスで「読まれた」のか怪しい限りなのだ。例えばこんな調子であと220テーゼある(かなり長文のものもあり、それはけっこうキツい)。

(1)生産の近代的条件が統べる社会において、すべての生はスペクタクルの巨大な集積として現れる。かつては直接に経験されたものは、いまや表象の中に遠のいてしまった。

 この書物を読むには世界資本主義、結局のところマルクスを知らないと文字を追うだけの時間が過ぎていくだけのような気がしている(むろん、211のテーゼで簡潔にまとめられた本書は、それだけでやたらカッコいいのだが)。ただ、マルクスを真に理解するには30年はかかるし、ついでにスピノザもカントもフォイエルバッハアルチュセール宇野弘蔵ルカーチ廣松渉も、果てはネグリまで「基礎」として抑えなければいけないのだが、何も学者を目指しているわけではないので、この『スペクタクルの社会』は一時保留にしようと思う。ドゥボールには他に『スペクタクルの社会についての注解』と『映画に反対して - ドゥボール映画作品全集(上・下)』という著作が日本語訳で刊行されている。
 あ、がんばっている人を1人発見(彼も15/221で小休止)→http://orc.lolipop.jp/misc/category.php?category=spectacle

スペクタクルの社会 (ちくま学芸文庫)

スペクタクルの社会 (ちくま学芸文庫)