ここんとこあんまり音楽についてはネタがない。いや、買う量も少し減ったとはいえ、かなり買ってるんだけど、素晴らしいものに出会わないというか、まああれだ、ゼロ年代の音楽はほとんどダメだね。情報量が増えて明らかにクズみたいな音楽も減ったけど、全部が60点=「可」って感じ。マスタリングのせいかな。飛び抜けてハズレがないのが良いことなのかよくわからない。昔は偉大な失敗作っていうのがあって、ニール・ヤングとかデビッド・ボウイに多いんだけど、いまの日本のジャズやら電子音楽やらポップスやらはことごとくつまんなくなったね。教授は相変わらずクオリティ高いけど。あと□□□は圧倒的にいいね。「優」あげちゃう。あと細野晴臣ってバケモノもいて、かなり前に彼のトークイベントに出かけて、始まる前にトイレに行ったらオレのとなりに細野が来たからね。背筋が凍って一滴も出なかったよ。意外と身体もでかかった。あと湯気もすごかった。嗅いじゃったね、湯気。まあ彼は1人だけ異次元なんだけど、そろそろ細野亡き後の音楽を考えなきゃいけない。誰がリーダーか。杉本拓なわけないし。批評の世界がみな小粒なのも考えもので、佐々木敦なんて多分俺より10倍は聴いてるはずなんだけど、いかんせん書くものがつまらない。小粒の最たるものだね。読む必要なし。音楽批評はもう1回小林秀雄の「モオツァルト」を考えなきゃいけない。みんな小林ほどモノを知らないんだから。書いてあることよりも、彼が書いていないことを真剣に考えないと。海外に目を向けても、最近はアンテナが1本しか立ってないから知らないんだけど、日本と大差ないんじゃないかな。「ラップトップ→生音回帰」が顕著なんだけど、生音で過去の巨人たちに勝てるのか。いや、勝たなくてもいいんだけど、やはり音楽をやる上ではCDを出した時点で一般的にはサム・クックやらデューク・エリントンやらジョビンと並べられるわけで、やはり負け戦であろうと戦わなきゃいけない。この3人はいま適当に並べたんだけど神々しいね。歴代名横綱、通算優勝回数60回越え、みたいなメンツだね。ゼロ年代の収穫が相対性理論なんて悲し過ぎて愕然としちゃうね。
 愕然としすぎて仕方なくam/pmで缶コーヒーと煙草を買ってきたから、いきおい余って続きを続けると、正直ノイズやシリアル・ミュージックはまだやるべきことがあると思うけど、やっぱ傍流の傍流、極北の極北だよね。本当はそこが一番面白いのかもしれない。数年前に「ワールド・ミュージック」っていう、語義矛盾っていうか、それを言ったら全部の音楽がワールド・ミュージック!なんだけど、大したムーヴメントにもならずに終わったマイノリティたちの音楽があって、もちろんいまでもある。それに関連して、久保田麻琴の仕事はやはり注目すべきだし、それ以外にも素晴らしい音楽を見い出せるんだろうけど、穿った見方をすれば、世界中のありとあらゆる音楽をデーターベース化しようっていう動きなんだと思う。iTunesに世界中の音楽が入っているイメージ。終わりのはじまり。これはある意味息苦しい。息苦しいんだけど便利なわけだ。悲しい哉、「星の数ほどある過去の音楽を聴いていれば、新しい音楽なんて必要ない」という誰かさんが言っていた言葉に妙に納得する自分もいて、ミュージシャン(志望含む)には申し訳ないんだけど、新譜出してもいいけど俺の見えないところで出してくれ、俺は旧譜買うので精一杯だ。っていう近年の心の叫びがあるね。diskunion行ったら新譜見ないもん。まあ新譜もいいものはあるし、Sonic Youthとか未だにカッコ良いんだけど、それならJohn Fahey聴くわ。っていう変に老成してしまった28歳が見事に出来上がってしまった。音楽なんてやってないで、就職してサラリーマンやってたほうがこいつ自身のためじゃないのか?っていう自称ミュージシャンが100人中99人いるこの世界で、それじゃあ俺たちはどうすればいいのか。村上龍なら「そんなことオレは知らない」と言うだろうが、真面目に考えると、DJ/サンプリングという手法は未だに有効か?という命題が捏造できる。DJなんて他人のフンドシで相撲を取る的な言われ方をしてきて、この10年は割と市民権得てるように思えるんだけど、彼らのミュージシャン・コンプレックスはひどいね。その代表例が須永辰緒。まず自分のポートレイトでピアノ弾いてるフリしてる写真(横から撮ったヤツ)使うのやめろ。大して弾けないくせに。DJの風上にも置けないね。その点、クボタタケシなんてのは好感持てる。それでもやっぱ黎明期の巨人たちには勝てっこない。なぜなら、いまのDJ連中は「DJ」という方法を既に知っていて、それに合致するように自己を組織(訓練)してるからね。あざとい。もちろん、昔よりいまの方が圧倒的に多く音楽に触れられるからクオリティは上がってるんだけど、内容自体よりその安易な思考がダメだね。ラリー・レヴァンみたいに考え抜きゃなきゃ。ヤツはほとんどウィリアム・バロウズと比肩してる。考え抜いて「あ、やっぱDJはダメだわ。就職するわ」って人の方がよっぽど信頼できる。
 もっと言うと、CD自体売れない。というか、そもそも音楽が売りモノだった時代ってたかだかここ100年ぐらいなわけで、19世紀には売り物でもなんでもなかった。もともと売りモノではないのに「売れない、売れない、売れない」と嘆いているんだから、音楽業界も悲しいね。悲しい色やね。データに変換されたらもう終わりだね、音楽も。いや俺は買うよ、旧譜メインだけどね。何もマテリアリストじゃないけど、姿勢の問題というか、レコードかけるときの魂込める感じはiTunesじゃあり得ないからさ。とはいえ、魂込めて聴いてないレコードがやたら溜まって我が家に4000枚ぐらいあるんだけど、その中で本当に凄い音楽って30枚ぐらいだね。打率0.10以下って、いくらトライアウトしてもどの球団も拾ってくれない。わりと名盤買ってるはずなのにおかしいな・・・。ま、音楽ってそういう世界なんだってだんだんわかってきたよ。とにかく9・11後にメジャーレベルで1つの反戦歌も歌われなかったこの国で音楽をやるとはどういうことなんだろうか、真剣に考えなきゃいけない。「世界にひとつだけの花」って反戦歌だと思ってたんだけど違うようだ。清志郎でさえ9・11では歌ってないし。アメリカではリリー・アレンみたいな新人小娘でさえ反戦歌を歌っているのに、日本に翻ってみると誰もいない。ゼロだ。じゃあ安室やYUIが歌うのか。aikoは恋愛ばかり歌って飽きないのか。反戦歌を歌え。EXILEは踊ってないで直立不動で反戦歌を歌え。ジャニーズも全員で反戦歌だ。もちろん、メッセージが正しいから音楽が正しいわけではないが、詞はポップスの重要な要素なんだからもう少し方法はあるんじゃないか。意味がないことが成熟でカッコいいってか。そもそもさ、有史以来最も音楽を聴いてきた人間たちが形成するこの世界で相変わらず金儲けと権力闘争しかしてないんだから、音楽って結局人間にとって何なの?っていう無力感があるよね。何も変わってない。変化ゼロ。そんな話をしたらまた自殺した文芸評論家が亡霊のように出てきて「時代が変われば人間も変わる。それは人間が変わらないからだ」なんて言い出す。はたまた「それじゃあお前はやれんのか!」って耳の後ろから高田総統が出てくるんだけど、いい音楽を作る自信はいまのところない。モチベーションがまずない。ミュージシャンに必要なものはやはりモチベーションで、内発性に任せてそのときを待ってる。いや、インプットの量と反比例してモチベーションが逓減していくんだけどね。ここに「限界モチベーション逓減の法則」を見出したね、オレは。あ、これも40年前にやってる、あ、これもダメだ。その繰り返しね。やる気失せちゃうよ、まったく。でも未開の地はないわけで、そこは臆せず一点突破するしかないね。ZEEBRAも1つだけいい事言ってる。あと押尾学ね。「らいふ・いず・わんす」って言ってる(笑)。日々生活してると忘れちゃうんだけど、人生は一度きりだからね。サラリーマンなんて大体ニートだね、毎日会社と家の往復しかしてないんだから。偉そうにニートを馬鹿にしているようなリーマンに限って大差なし。ほぼゼロ差。お前がいまの時代に生まれてたら絶対ニートだよ!っていうオヤジ連中がこぞってニートを馬鹿にしてるんだけど、むしろニートのほうが世界を知ってる気がするよ。ほんとにゲームしかしてないヤツもいるだろうけどね。ま、相変わらず音源は買っていく。今日も8枚買ったし。BECKの新譜と最近のR&BとJAZZとウイイレBGM用にファットボーイ・スリムのMIXCDと教授と比較的レアなゴータ(屋敷)。これ全部ブックオフで250円だった。早稲田駅前店はマジでオフし過ぎ!でももうオレという台風のあとには草木も残ってない。あるのはリッキー・マーティンとタトゥーだけ。まだまだ続けられるけど今日はこんなところで。