• 『潤一郎ラビリンス(7) 怪奇幻想倶楽部』(谷崎潤一郎

 「白晝鬼語」をしてランポの「押絵と旅する女」の先行作品と判断するのが早急なのは、そのいずれもがエドガー・アラン・ポーの「黄金虫」を参照項としているからだ。だが、タニザキは探偵小説と呼ばれる形式の小説はほとんど書いていない。「白晝鬼語」にしても極めて今日的かつ普遍的な主題(虚構こそが実体で、現実はその影に過ぎない)が提起されており、覗き穴から異界を垣間みるところもどこか映画(というよりもエジソンのキネトスコープ)を思わせる。モダニスト・タニザキ的な視点である。
 美食を味わうのでも食うのでもなく、単に狂ってしまっている「美食倶楽部」も優れた小品だが、個人的には激しい歯痛により、阿片やハシシの力を借りずとも感覚の錯乱によって幻覚が生じるボードレール的「病蓐の幻想」が最も気に入っている。爆笑小説である。

 「こうなると実際ピアノと同じ事だ。一々の歯が、恰もピアノの鍵のように思われるから不思議じゃないか」ー何だか彼は、各々の歯の痛み方の程度に応じて音階を想像する事さえ出来そうであった。一番前の方の、一番痛みの少ない奴を仮にDoとすれば、その次に痛い奴をReとする、其れよりも亦痛いのをMiとする、斯くて立派に七つの音階が出来上ると、今度は「汽笛一声」でも「春爛漫」でもさのさ節でも喇叭節でも、好きな歌を奏する事が出来そうな気持ちになった。

  • 病蓐の幻想
  • 白晝鬼語
  • 人間が猿になった話
  • 魚の李太白
  • 美食倶楽部