• 『①死なないこと②楽しむこと③世界を知ること—すべての男は消耗品である。Vol.4』(1995/村上龍

 村上龍のエッセイを最近読みなおしている、小説は止まっちゃったけど。リュウとタニザキの2本立て。もう15年くらい前のエッセイね。いやぁ、おもしろい。そしていまと言ってることがあんまり変わってない。つまりオレたちは15年前とほぼ同じ世界に生きているということだ。例えばこんなふうに・・・

 例えば、久しぶりに誰かに会う。何だこいつ老けたな、と思う。いろいろ話して、何だこいつの昔のままだなと思う。話す内容、話し方、価値観など、何も変わってないと思う。すると、バカじゃないか、と思ってしまうのだ。

 私達は、どんな場合にでも、とりあえず生きのびていこうとする。極端なことを言うと、自殺するような時でも、生きのびようとしているケースさえある。生きのびるためには、衣食住の他に、何かが必要で、その何かが、具体的には、恋愛だったり、自動車レースだったり、お金だったり、変態的なセックスだったり、表現だったり、あるいは犯罪だったりする。そして、生きのびるために必要な何かと付き合うのは非常に疲れるので、疲れをいやす何かも常に必要となる。その二種類の何かが、その人の生き方を決定する。生きがいとか趣味とか仕事とかそういった区分は無関係だ。ただ、趣味では、生きのびることはできない。趣味は、あくまでも趣味で、ただ疲れをいやす、時間をやり過ごすだけである。

 「長いものには巻かれろ」というのが、実はこの国の価値観の核になっているわけだが、そういうことがえんえんと強く支配してきたということは、それによっぽどのリアリティがあったということになる。長いものに巻かれると、ものすごくいいことがきっとずっとあったのだ。今、この国に欠けていること、つまり、個性、主体性、オリジナリティ、などは、長いものに巻かれていては決して手に入らないものばかりだ。