漱石について考えている。もちろん漱石の研究者ではないので、彼自身というよりは彼が何を考えていたかについて興味がある。とても久しぶりに読んだ『坊っちゃん』は、1906年4月に『ホトトギス』に発表された。原稿用紙215枚のこの中編は1週間で脱稿している。
 所謂勧善懲悪モノで、その起源は近松門左衛門の世話物『国性爺合戦』にあるようだ。だが「江戸に帰れ」的な単純さはここにはない。疾走感に充ちているが美文とは言い難い。勧善懲悪モノとされているがどこか寂しさがある。主人公の坊っちゃんは単純明快・直情径行の善玉と設定されているが、紋切型過ぎて(明治時代とはいえ)このような人間が存在できるはずがない。悪玉の赤シャツが「近代」の象徴だが、いまとなっては赤シャツのほうが「自然」な「人間」である。小説とはいえ、坊っちゃんのような不自然な人間はどこにもいない。そこが興味深い。坪内逍遥以後、明治期に自然主義が跋扈し「いかにリアルな人間を描くか」に埋没していた同時代の傾向と明らかに一線を画している。『坊っちゃん』が興味深いのは主人公がまったく何も考えておらず、周囲に流されるだけの「透明な存在」だということだ。注意深く読んでみると、坊っちゃんが主体的に行動する箇所がほとんどゼロなのがわかる。物語のクライマックスとして、坊っちゃんが赤シャツと野だいこを懲らしめる場面が用意されているが、その描写もいかにもあっさりとしている。「ぽかり」というのがいい。

 「だまれ」と山嵐は拳骨を食わした。赤シャツはよろよろしたが「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」
 「無法で沢山だ」とまたぽかりと撲ぐる。「貴様のような奸物はなぐらなくっちゃ、答えないんだ」とぽかぽかなぐる。おれも同時に野だを散々に擲き据えた。仕舞には二人とも杉の根方にうずくまって動けいないのか、眼がちらちらするのか逃げようともしない。
 「もう沢山か、沢山でなけりゃ、まだ撲ってやる」とぽかんぽかんと両人でなぐったら「もう沢山だ」と云った。野だに「貴様も沢山か」と聞いたら「無論沢山だ」と答えた。

 坊っちゃんが勧善懲悪モノというのは明らかに間違っている。坊っちゃんは赤シャツとの闘争に敗北して帰郷したのだし、山嵐もうらなり先生も権力闘争に敗れている。精神のよりどころである清(ばあや)もその後亡くなっている。最後は寂しさが溢れる。江藤淳は『坊っちゃん』が名作である理由を坊っちゃんと清との愛情にあると書いている。確かに暖かみがある。胸が痛くなる。そして滅法面白い。

 その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月に肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日におれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。(了)

坊っちゃん (新潮文庫)

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