• 『潤一郎ラビリンス(8) 犯罪小説集』(谷崎潤一郎

 日本で探偵小説が注目されたのは大正半ばの1918年前後のようだ。中上健次から「物語のブタ」と呼ばれたタニザキも、当然ながら探偵小説と呼ばれるものを多数書いている。たとえば『途上』は江戸川乱歩に「これが日本の探偵小説だといって、外国人に誇り得るもの」と賞賛されているのだが、当の本人は「作者として有難くもあるが、今更あんなものをと云ふ気もして、少々キマリ悪くもある」と後に述べている。つまり、乱歩が「殺人の方法」に興味を抱いたのに対して、彼としては「殺人と云ふ悪魔的興味の陰に一人の女の哀れさを感じさせたい」のであり、「殺す殺さないは寧ろ第二の問題」なのだ。
 タニザキは芥川のように綿密なプロットを立てて小説を書くタイプの人間ではない。ここがタニザキの小説家たる所以であり、「探偵小説家」に成り得ない所以である。描写を積み重ねて内面をどこまでも掘り下げていく、というのが谷崎的作品の特徴だ。というよりも、「描写」こそ小説の条件であると知っていたのだ。描写がない小説はたちまち「物語」になってしまう。描写とは、ある種の目眩、歪みに他ならない。
 晩年の『雪後庵夜話』で、自分の創作方法について下のように語っている。

 小説を書くのに、話の筋を最後まで考へて詳細な組み立てが出来上がった上で筆を執る人と、どうにかなるだらうぐらいに大体の見当をつけただけで書き始め、書いているうちに自然と筋が出来上がって行く人と、二た通りある。芥川氏は前者の方であったらしく、第一章は何処から何処まで、第二章は何処から何処までと、執筆前にキッチリ決めていたとみえ、何処のチャプターからでも書き出すことが出来ますと云っていたのを聞き、私は驚いたことがあった。私はそれとは反対で、最初は茫漠とした幻想のかたまりのやうなものが雲の如く脳裡に湧き、何かしらものを書かずにはいられなくなる。そんな状態のまま原稿用紙に向かふことがしばしばである。

  • 前科者
  • 柳湯の事件
  • 呪はれた戯曲
  • 途上
  • ある調書の一節 対話
  • ある罪の動機