• 『すべての男は消耗品である』(1987/村上龍

 再読。悪魔に憑かれたようにずっと村上龍ばかりだが、どういうわけか飽きない。人間は想像する動物なので、すべてを知ると途端に飽きる。つまり、まだ僕はこの小説家についてわからないことが多いということだ。この前は中上健次で、その前は大江健三郎だった。独特のユーモアで思わず笑ってしまうが、本当のことが書いてあるので、この20年以上前に書かれたエッセイ集は耐久財である。

 「いいセックス」の必要十分条件は難しい。だが、必要条件ならすぐにわかる。それは「体力」だ。「愛」じゃない。愛があっても肝硬変の発作中ではセックスどころではない。

 「美人は三日で飽きる」というのはブスの自殺を救うための嘘である。

 才能がなく、金もなく、きれいでもない哀れな牡達はどうすればいいのか?
 どうしようもない、とオレは言ってしまう。ノウハウなどありはしない。それなりのリスクを負って、無謀とも思えるゲームを戦うしかないのである。無名のテニス選手のように、だ。

 『コインロッカー・ベイビーズ』と「私の政治哲学」(鳩山論文)も並行して読んでいる。傑作『イン・ザ・ミソスープ』がヴィム・ヴェンダースによって映画化されるという噂は本当だろうか。

すべての男は消耗品である (角川文庫)

すべての男は消耗品である (角川文庫)