美術教師だった父の本棚に、アメリカン・アートという一冊があって、確か小学校の五年か六年だったと思うが、初めてリキテンシュタインの絵を見た。
 ポップアートは、私の心を打つわけでも揺すぶるわけでもなく、また内部に染み入ってくるわけでもなかった。
 ただ、表面に貼り付いたのである。
 スタンプのように、貼り付いたのだ。

 こんなまえがきから始まる村上龍の初期短編集『ポップアートのある部屋』は、傑作でも秀作でもなくただ単にそこに「ある」書物だ。願わくば、彼の中で最も売れて欲しかった、というよりも、アンディ・ウォーホールのモンローのように数え切れないほど刷られて欲しかった。でもあまり売れなかったようだ。樹齢70年でも1本の大根より安い木があるらしい。でもそんな木が僕らの周りを覆っている。
 ジャスパー・ジョーンズリキテンシュタイン、トム・ウェッセルマン、ウォーホールジョージ・シーガル、ローゼンクイスト、ラウシェンバーグ、オルデンバーグ、そしてアレン・ジョーンズ。軽さが美徳だった。現在は「ポップ」は寒々しい。鬱っぽい。これを読んで、80年代だって今と変わらないんだと知った。

  • 左腕だけはきみのもの
  • Kの画廊
  • タキシードの老人
  • 殺人者の忠告
  • ディスコ「セブンスターズ
  • 『ブラック、ホワイト、&イエロー』
  • 銀行と乞食
  • 退屈な浪費家
  • 引っ越しする未亡人
  • 「救世主」
  • 「娼婦達」
  • 表面以外は全部嘘

ポップア-トのある部屋 (講談社文庫)

ポップア-トのある部屋 (講談社文庫)