中上健次は『枯木灘』を書くまでに多くの短編を書いている。それは、伝えたいことを伝えるために必要な技術と方法を身につけるためだ。だが、その伝えたいという強靭なモチベーションは永遠には続かない。そうでなければ、と村上龍は言う。そうでなければ、ポール・マッカートニーは永遠に名曲を作り続けただろう。伝えたいことがなく、言いたいことがあるならば、小説家ではなく政治家になればいい。
 『走れ!タカハシ』に続く第4作目の短編集『ニューヨーク・シティ・マラソン』では、世界各地の人種的・社会的マイノリティが登場する。日本的な閉塞感を嫌悪する村上龍は、積極的に「他者性」を導入し、物語を活性化させる。尻の肉が垂れ下がり客に相手にされなくなった黒人娼婦がニューヨークの街を疾走する。足が捩じ曲がって男の腹の上でいつも泣かされていた哀れな女が年に一度のカーニバルで女王のように踊る・・・危なく涙が出そうになったが、28の男が泣いても美しくないので堪えた。この時期の村上龍の「伝えたいこと」は一貫している。

ニューヨーク・シティ・マラソン (集英社文庫)

ニューヨーク・シティ・マラソン (集英社文庫)