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- 『69-sixty nine-』(1987/村上龍)
映画については語らずにおく。脚本宮藤官九郎・監督李相日のコンビとキャストから推して知るべし。仮に村上がメガホンを取ったらひょっとしたら青春映画の大傑作になったかもしれない。小説『69-sixty nine-』は「楽しい」小説である。どれぐらい楽しいかと言うと、230頁を1日で読み終えるほどだ。以下あとがきより。
これは楽しい小説である。
こんなに楽しい小説を書くことはこの先もうないだろうと思いながら書いた。
この小説に登場するのはほとんど実在の人物ばかりだが、当時楽しんで生きていた人のことは良く、楽しんで生きていなかった人(教師や刑事やその他の大人達、そして従順でダメな生徒達)のことは徹底的に悪く書いた。
楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。
数少ない例外の教師を除いて、彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。
彼らは人間を家畜へと変える仕事を飽きずに続ける「退屈」の象徴だった。
そんな状況は、今でも変わっていないし、もっとひどくなっているはずだ。
だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。
彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
唯一の復讐の方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。
この自伝的小説を読んで、ふと自分の17歳の頃を思い出した。
我が高校はヤンキー高校だったので、卒業時にはクラスの1/3が退学になるし、先公の胸ぐらを掴んで退学になる奴もいたし、昼休みにパチスロしてる奴もいてそれを見回るバカ先公もいたし、教室の後ろで紙麻雀しても怒られなかった。風俗嬢になる奴もレイプする奴もヤクザになる奴もヤクザと喧嘩してナイフで右腕の神経を切られて動かなくなった奴もいた。授業をボイコットして退学寸前まで追い込まれたのはちょうど17歳の頃だった。そのときにクラスのみんなで河川敷でサッカーをしたのだが、あの開放感は今も忘れない。
俺にとって「退屈な連中」とは大方の高校生と同様に教師だった。つまり体制/システム側の人間だ。楽しく生きるためにはエネルギーがいる。だが奴隷は楽だ。何も考えなくていいからだ。そう思っていたし、秀才の選民意識もあり教師から見たらかなりイラつく生徒だっただろう。今も基本的な考えは不変だが、じゃあ現在の自分はあの教師とどう違うんだと考えてみると大差ないが、Still Crazy After All These Years。
- 作者: 村上龍
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