社会学の概念では「群衆」と「公衆」と「大衆」はどれも明確に定義されていて、おそらく一般的に言う大衆とか民意とかは「大衆」のことだ。大衆というのも決してバカではない、良識派が揃っていて、その良識派というやつは「読む前から批判してはいけない。出来レースと勘繰るのは野蛮だ」などと言ったりする。つまり正しいことを言うわけだ。だがその「正しさ」が決定的につまらない。正しくてつまらない、いや、「正しいからこそつまらない」ことを言う良識派が何かを変えたことなど一度もない。ここでオレは野蛮にもポプラ社の書物を一生買わないこと、そのまま「ポプラ社不買運動」を決意したのである。
 もちろん賞が与えられた小説が傑作ばかりとは限らないのは百も承知だ。思えば小説とは、落合信彦を愛する慶応SFC卒(イケメン)の書いたものより、ヴォネガットとチャンドラーを愛する日芸卒(ブサメン角刈り)の書いたもののほうが絶対に面白い、という闘争の場ではなかったか。田山花袋を見よ、稲垣足穂を見よ、江戸川乱歩を見よ、安部公房を見よ、中上健次を見よ、中原昌也を見よ、見事にブサメンだ。でもきっと、落合信彦を愛する慶応SFC卒(イケメン)の書いたものが、年に10冊も小説を読まないレベルの人たちが気に入る感じのウェルメイドな仕上がりになっていて、結構面白いじゃん?みたいなことになって、すげぇみたいになって、ゆくゆくは石原慎太郎みたいにつけ上がって、辻仁成みたいにパリに移住するんだろう。