余は「思い出す事など」に於いて漱石の底知れぬ孤独を感じた。所謂「修善寺の大患」と形容される出来事の随筆である。漱石の孤独を思えば、余の孤独など屁の突っ張りにもならぬ。たとえ30分にせよ、一度死んだ人間はもはや常人の感知できぬものに変わる。もう人間には戻れない。幽霊にもなれぬ。漱石は己をドストエフスキーに準える(ドストエフスキーもまた死の門口まで引き摺られながら、辛うじて後戻りをすることのできた幸福な男である)。余は「夢十夜」の重苦しい陰鬱にも同様に惹かれた。今年の読書予定表に村上龍谷崎潤一郎に並べて、新たに漱石を加えざるをえない。

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)