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『文鳥・夢十夜』(1908/夏目漱石) 余は「思い出す事など」に於いて漱石の底知れぬ孤独を感じた。所謂「修善寺の大患」と形容される出来事の随筆である。漱石の孤独を思えば、余の孤独など屁の突っ張りにもならぬ。たとえ30分にせよ、一度死んだ人間はもは…

『明日できることは今日はしない—すべての男は消耗品である。Vol.5』(1998/村上龍) そういえば、少し前に"Men Are Expendable"のVol.5『明日できることは今日しない』を再読した。同じタイトルのビジネス書があるので買うときには注意してください。 ちょ…

『すべての男は消耗品である。Vol.6』(2001/村上龍) このエッセイ集をつまらないと言う人がいる。文句があるなら村上龍に直接言わなければ意味がない。 日本のメディアは、国民に「わからせる」という絶対的な使命を持っている。知らせるのでも伝えるので…

『マルクスの現在』(1998/柄谷行人・浅田彰) ケマーさん、再読したいから早く返して! マルクス〜アルチュセール〜廣松渉〜ネグリまで。浅田彰の美しすぎる解説&年譜付き。視座を考える。自分がどんな場所で考えているのかを考えるために。マルクスの現在…

『①死なないこと②楽しむこと③世界を知ること—すべての男は消耗品である。Vol.4』(1995/村上龍) 村上龍のエッセイを最近読みなおしている、小説は止まっちゃったけど。リュウとタニザキの2本立て。もう15年くらい前のエッセイね。いやぁ、おもしろい。そし…

『眠る秘訣』(2009/井上昌次郎) 新書なんか1時間で読める。おそらく主著は『眠り科学する』なんだろうけど4000円するので今回は見送り。著者の経歴を見てみると、「世界睡眠学会連合理事、アジア睡眠学会会長、日本睡眠学会理事などを歴任」となっていて、…

『共産党宣言』(1848/マルクス・エンゲルス) 古典は解説書などに頼らず原典に当たる必要がある。「まんがで読破」してもそこには「意味」と「解釈」と「物語」と「部屋」と「Yシャツ」と「私」しかない。むしろマルクスが書いていないこと、書かなかったこ…

『魅せられて─作家論集』(2005/蓮實重彦) 大きく大正期/戦後派/現代作家と区別された蓮實重彦の『魅せられてー作家論集』。このマックス・オフュルスを臆面もなく借用するセンスについては留保したいが、当然ながら内容は充実している。唯一の書き下ろし、…

『潤一郎ラビリンス(7) 怪奇幻想倶楽部』(谷崎潤一郎) 「白晝鬼語」をしてランポの「押絵と旅する女」の先行作品と判断するのが早急なのは、そのいずれもがエドガー・アラン・ポーの「黄金虫」を参照項としているからだ。だが、タニザキは探偵小説と呼ば…

『ロスト・イン・アメリカ』(2000/V.A.) 奇跡の絶版本『ロスト・イン・アメリカ』を古本屋にて奇跡の入手!そして読了。3000円はほぼ定価通りだったが、青山真治・黒沢清・安井豊・阿部和重・塩田明彦・稲川方人・樋口泰人の蓮實重彦以後の映画批評を担う…

『潤一郎ラビリンス(6) 異国綺談』(谷崎潤一郎) タニザキが西欧の憧れたのは有名な話だ。彼が同時代人としては珍しく映画を愛したモダニストだったのは、おそらく現代的な西欧の表層がそこに現れているからである。 一方、古代の中国やインドについても…

いまどきタニザキ・ラビリンスを真面目に読んでるのはオレだけなんだろうなと思っていたら、こいつがいた。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0060.html こいつの本は読むつもりないけど面白いのかね。顔がちょっといいから人気あるだけかね。あんま大…

『潤一郎ラビリンス(5) 少年の王国』(谷崎潤一郎) 「少年の王国」と題した第5迷宮は、主に少年期の主人公が登場する。子どもの世界と大人の世界、現実世界から未知の世界へ、あるいは日常生活から虚構空間へ越境する少年。谷崎の重要な主題である「永遠…

『シネマの記憶喪失』(2007/阿部和重・中原昌也) 『シネマの記憶喪失』を再読した。必読書ではないが、金と時間があり余ってるなら買って読むのもいい。阿部和重と中原昌也の2人が映画を観るときにどこに注目しているのかがよくわかる。ただ、アテネに集結…

『ラッフルズ・ホテル』(1989/村上龍) ノベライゼーション形式で書かれた作品。つまり、はじめに村上龍自身が監督した映画ありきだが、現在VHS視聴できず未見。萌子役が藤谷美和子というところから、この主人公がどういう人物造形かは察しがつくと思う。 …

『シネマトグラフ覚書—映画監督のノート』(1987/ロベール・ブレッソン) この書物は評論でも批評でもない。1950年〜1974年までの長い間に渡って、ロベール・ブレッソンが折を見て綴った「倫理」的な断想である。また、映画作家としてのマニフェストでもある…

『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇』(魯迅) 苦かったね〜魯迅。『阿Q正伝』は当然苦いし、『狂人日記』も苦いし、ここに収録されている14篇のうち12篇は本当に苦い。そういえば書き忘れてたけどこの前の日曜日に井上ひさし主宰のこまつ座による「シャンハイ・…

『スペクタクルの社会』(1967/ギー・ドゥボール) ギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』は非常にわかりやすく難解、という困った代物で本当にこの書物が当時圧倒的にフランスで「読まれた」のか怪しい限りなのだ。例えばこんな調子であと220テーゼある…

『物語批判序説』(1985/蓮實重彦) ミシェル・フーコーは自分を哲学者でも歴史家でも思想史家でもなく、「Artificier」と定義した。これは現在刊行されている日本語訳では「花火師」と訳されているが、より正確には「爆破技師」とされるべきである。では、…

『戦争とファシズムの想像力 村上龍自選小説集(5)』(村上龍) ちなみに『海の向こうで戦争がはじまる』と『愛と幻想のファシズム』は、この自選集に収録されている。この2タイトルの散文性は凄まじい。ポエジーに陥らない生まれながらの小説家だ。 俺はこ…

『愛と幻想のファシズム』(1987/村上龍) 軍事マニア小説的様相を見せながら、村上龍自身の日本的共同体というシステムへの強烈な攻撃と資本主義(貨幣経済)の無根拠性の露呈を目指したこの壮大な『愛と幻想のファシズム』は、文庫版で1000頁を余裕で超え…

『潤一郎ラビリンス(4) 近代情痴集』(谷崎潤一郎) タニザキ・ラビリンスに迷い込んで早3ヶ月が経った。中学生時分に読んだのは、一体なんだったのか(あの頃も面白かったが)。と自問自答するほど良いのですいすい通勤電車で読んでいる。 第4巻は「近代…

『69-sixty nine-』(1987/村上龍) 映画については語らずにおく。脚本宮藤官九郎・監督李相日のコンビとキャストから推して知るべし。仮に村上がメガホンを取ったらひょっとしたら青春映画の大傑作になったかもしれない。小説『69-sixty nine-』は「楽しい…

『潤一郎ラビリンス(2) マゾヒズム小説集』(谷崎潤一郎) ジル・ドゥルーズが『マゾッホとサド』で「マゾヒストは本質的に訓育者なのである」と書いたことからわかるように、その男女関係が一種の狂言でしかないことである。その狂言は、マゾヒストがパー…

『アンビエント・ミュージック 1969〜2009』(2009/三田格) アンビエント・ミュージックを真剣に聴きはじめたのがいつだったか正確な時期は覚えていないが、おそらく時東あみの「あ」がちっちゃくなった頃だと思う。 CISCO閉店という歴史的瞬間に共に駆けつ…

『潤一郎ラビリンス(3) 自画像』(谷崎潤一郎) The Affair Of Two Watches 神童 詩人のわかれ 異端者の悲しみ 小説家自身が主人公と思われる4編を集めた第3集。大学時代の怠惰な生活の「The Affair Of Two Watches」と「異端者の悲しみ」、小説家として軌…

『ニューヨーク・シティ・マラソン』(1986/村上龍) 中上健次は『枯木灘』を書くまでに多くの短編を書いている。それは、伝えたいことを伝えるために必要な技術と方法を身につけるためだ。だが、その伝えたいという強靭なモチベーションは永遠には続かない…

『潤一郎ラビリンス(1) 初期短編集』(谷崎潤一郎) 全集は30冊もあるし、ブ厚いし、場所取るし、装丁も古くさいので、しばらくはこの『潤一郎ラビリンス』という中公文庫から出ている全16冊のシリーズものを読破することにした。他の出版社の文庫に未収録…

『テニスボーイの憂鬱』(1985/村上龍) 『テニスボーイの憂鬱』は、村上龍の数少ない長篇と言える。文庫にして600ページは、彼の中でトップ5の長さだろう。その長い小説の中でテニスボーイは、テニスをし、息子と遊び、海外旅行をし、2人の愛人とSEXをする…

『持ってゆく歌、置いてゆく歌—不良たちの文学と音楽』(2009/大谷能生) 認識に言葉は必須だが、音楽の素晴らしさは一瞬言葉の世界から浮遊するような感覚が訪れることだったりする。文学的なものと無関係になる瞬間だ。 大谷さん(面識があるので「大谷能…